基準をめぐる社会的意思決定プロセスの分析

本ラボを修了した、早稲田大学大学院 政治学研究科ジャーナリズムコース 修士課程修了生の論文概要書です。

基準をめぐる社会的意思決定プロセスの分析
−防潮堤計画に対する気仙沼と釜石の議論から

Author: H.Y.(2019年3月修了)

研究目的

科学的に算出された数値は社会の意思決定において客観的指標として用いられる。しかし、数値の客観性は社会的・政治的な背景により人為的に構成されるものであり、現実には極めて恣意的な指標である。本研究は、東日本大震災後の気仙沼市、釜石市における防潮堤計画を事例に、専門性の高い科学的な理論が「客観的」として権威づけられる背景[1]と、それに伴う危険性の立証を目的とした。地域内の意思決定プロセスの中で科学的な理論がどう解釈され、変遷していったのか。地方自治体の議会議事録データ、行政資料等から読み取り、分析を行った。

研究の背景と意義

東日本大震災後、被災地沿岸では甚大な津波被害からの復興を目指す中、次なる津波の被害を減少させるための巨大防潮堤計画が持ち上がった。計画の中には10mを超える箇所も存在し、市民からは景観への問題等から、大きな反発が起きた。特に震災前から防潮堤整備に積極的だった岩手県に比べ、震災前に堤防が少なかった宮城県での反発は大きかった[2]。震災直後の中央防災会議の専門家は、津波を二分する防災計画を提言した。数十年から数百年に1度起きる津波をレベル1(以下L1)、それ以上の津波はL2とされた[3]。防潮堤はL1を防御するという説明で計画が発表された。しかしこの計画の実施においても問題点が多数指摘されている。先行研究ではL1基準値の不透明さとこれを基準とすることの危険性[4]、専門的なL1、L2を市民が理解しきれないままに合意形成が行われていたこと[5]が問題視されていた。この基準値の社会的な議題構築過程に焦点を当てた研究はこれまでなく、本研究では専門的なL1、L2の社会的な議論過程での認識の変遷を整理することを試みた。

研究の方法と結果

本研究では議論過程を追跡する資料として、地方議会議事録を主な分析対象とした。また、新聞記事や雑誌記事、自治体より取り寄せた資料等も併用した。対象自治体は、宮城県気仙沼市と岩手県釜石市とした。両自治体ともにリアス式海岸に位置し、共に10mを超える防潮堤計画が存在しているが、議会での「L1/L2」の登場回数は大きく異なっていたためである。

気仙沼市長はL1基準値を「専門家が提言したもの」として信頼を寄せつつ、この提言に沿ったまちづくりを説得材料としていた。宮城県からトップダウンで防潮堤計画が強行される環境だったこともあり[6]、しきりに「専門家の提言した理論」と伝えられ、「L1/L2」が地域社会の中で防潮堤の建設の妥当性を高める絶対的な基準として、次第に権威付けられるようになった。しかし中央防災会議の委員がメディアで提言内容が途中で曲解されたとして、基準値に対して否定的な見解を伝える[7]と、議会での基準値に対する権威が崩れ、基準値に従う妥当性が失われることとなった。

一方、釜石市は「L1/L2」を絶対的な基準として受容することはなかった。この背景には、震災前から有した防潮堤や湾口防波堤が震災で破壊され、インフラのみでは人命を守りきることができないという教訓が得られていたこと、学校管理下の子どもの命を救った経験、宮城県と比較し地元の声を優先するボトムアップ型の復興政策が行われていたことが、「L1/L2」を絶対的な数値と考えるまでには至らなかったと考察した。

結論

本研究より、トップダウン型の行政形態で、かつ地域社会の教訓や体験の有無が、専門的な科学理論の受容度合いに影響を与える有り様が観察された。一方で専門性の高い科学的な提言は、市民だけでなく、地元の議会議員も理解できていたとは言えない状況であり、権威化した科学的な基準を巡り意思決定することの困難が改めて浮き彫りとなったと言える。


[1] Porter, M, Theodore, TRUST IN NUMBERS The Pursuit of Objectivity in Science and Public Life. (Princeton University Press, 1995). New Jersey. 邦訳書:セオドア・M・ポーター, 藤垣裕子 訳『数値と客観性:科学と社会における信頼の獲得』(みすず書房,2013)

[2] 長峯純一「防潮堤の法制度、費用対効果、合意形成を考える」『公共選択』, 第59号, (木鐸社, 2013年), p.143-161

[3] 内閣府「中央防災会議:東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会報告(案)」, 2011年9月28日 http://www.bousai.go.jp/kaigirep/chousakai/tohokukyokun/12/pdf/1.pdf (2019年1月7日閲覧)

[4] 横山勝英「海岸の多様性と防潮堤計画の画一性」『日本リスク研究学会誌』, 24(2), 2014年, p.93-99

[5] 坂口奈央「新聞記事に見る防潮堤問題の論点整理: 岩手日報2011 年3 月から2014 年3 月の記事を手がかりとして」『総合政策』, 16(1), (岩手県立大学総合政策学会, 2014年), p.1-17

[6] 古川美穂『東北ショック・ドクトリン』(岩波書店, 2015年)

[7] 「「巨大防潮堤」景観の破壊では まちづくりの中で位置づけを」『朝日新聞』2016年2月6日、宮城全県版、朝刊21面

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