「それはeスポーツじゃない」―ストリーミングメディアに見るマチズモ、アスレティシズム、エンジョイメントの競演

本ラボを修了した、早稲田大学大学院 政治学研究科ジャーナリズムコース 修士課程修了生の論文概要書です。

Author: K.Y. (2020年3月修了)

※本研究成果は、「2019年度 デジタルゲーム学会」第10回大会 学生奨励賞を受賞しました!

概要

 ビデオゲームを介した競技、いわゆるeスポーツは、今日の世界的ムーブメントとして、社会的・経済的な意味をも内包するものとなった。eスポーツの性質はゲーム、スポーツという二段階のフレームを経て、現在はメディア・エンターテインメントフレームが優勢だと位置づけられている(Taylor,2018)。従来の主流eスポーツを代表するPCゲームやメジャータイトルと異なる、スマホゲームなどの後発eスポーツ市場も徐々に形成されてきた。ところが、特定のゲームでの競技はeスポーツと見なされない現象が生じ始めた。eスポーツという概念定義と“本当のeスポーツ”という合意形成との間に隔たりが存在するのである。本研究はあまり注意を払われてこなかったゲームとeスポーツの境界を取り上げ、eスポーツが多様化しつつある今こそ、“ゲームがeスポーツになる”と認められる評価基準の解明を試みた。本研究の目的は、ゲーマーコミュニティの価値観の把握を通じて、“eスポーツはどうあるべきと前提されているか”あぶり出し、eスポーツの現状と展望に新たな視野を提示することである。
 本研究では、近年の潮流に乗って競技ゲーミングに参入したものの、eスポーツではなくカジュアルゲームだと認識されがちな任天堂ブランドの世界大会を対象にした。Boellstorffら(2012)が提示した方法論(バーチャル世界エスノグラフィー)に依拠してストリーミングメディア上のゲーマーコミュニティを観察し、収集したコメントデータからクロース・リーディングの方式でパターンを抽出して質的分析を行った。
 その結果、ゲームがスポーツ化する過程において、マチズモ、アスレティシズム、エンジョイメントのいずれの観点に立脚してeスポーツを眼差すかによって、異なる期待と評価基準を抱くことが分かった。
 第一に、マチズモの視座から見たeスポーツは、強い成人男性の優越性のみを維持することが期待されていた。男性性のないもの、例えば暴力性を取り除いた子供向けと思われるゲームを排除するこの価値観の下で、現実世界においてeスポーツが“それはスポーツではない”と名指しされている構􏰀をそのまま、“それはeスポーツではない”と競技ゲーミング空間において再生産していた。その際にギークとゲーマーがヒエラルヒーの頂点を占めなければならない思想も見られた。
 第二に、アスレティシズムの視座は、ジェンダーフリーの試みといえ、公平性と競技性を中核とし、ルールなどのスポーツとしての輪郭を厳格化することが期待されていた。ゲームプレイとスポーツプレイを区別して、スポーツへ接近しようとしていたのである。
 第三に、エンジョイメントの視座からは、ルールに対する厳しい要望もなければ、性別を取り上げて攻撃する傾向も持たなかった。eスポーツに対する期待は楽しさと面白さだけであり、ゲームがスポーツ化するにあたって、図らずもeスポーツ発展の際の緩衝地帯になる可能性がある。以上と合わせて、リアルスポーツの歴史にも鑑みれば、eスポーツから疎外されたカジュアルゲームがいずれ競技種目として受け入れられる趨勢を阻止できないと考えられる。
 本研究は、日本で進展するeスポーツに着目して、欧米と対照的な新しい方向性を指摘することができた。今後は、日本以外の東アジアや中東などの地域における動きもeスポーツ研究の対象とする必要がある。また、バーチャルリアリティといった新たなゲームの形態が、eスポーツとの関連においてどのように位置づけられるかも考慮しなければならない。

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